全国的な順位がわかったり、合宿があったりしていたので、その点ある程度の学力が判断で着てよかったと思う。先生や教室の環境などよりも、子供の送り迎えで母親が大変だったと思う。お弁当を持たせたり、体調を整えたり、学校のことだったり、友達のことなどやることがたくさんあったのにとにかく頑張っていた印象が強く、自分ではあまり多くをかかわっていなかった。
当時の自分の給料でどうにかやりくりできていたと思うが、できれば安価であればいいと思うがその点もあいまいなところがある。
全国区の有名な予備校なので、講師陣・カリキュラムも充実していたと思う。本人のやる気さえあれば、追って結果はついてくるものだと思い通わせていた。本人のやる気も、周りの生徒が『そのような雰囲気』であれば、次第に向上してくるだろうと考えていた。但し、周りの雰囲気に慣れて、”行っただけで満足・勉強が出来た気がする”になってしまっていた気もする。
他の塾・予備校に比して、可もなく不可もないと思った。全国区の予備校なので、『まあ、こんなもんかな』といった印象
結果として、四谷学院川越校を選んだのは間違いなかったと思っています。 なぜなら、本人の希望通りの大学に進むことができたのも、本人ひとりの努力だけではなく、本人が能力を発揮できるように指導していただいた講師陣のみなさまのご指導の賜物と理解しています。 独りよがりな勉強方法では決っして目標大学へは合格できなかったと思います。 みじかなライバルと切磋琢磨できる環境も非常に有効的であったと思っています。
他の塾と比較しても、カリキュラムの豊富さと講師陣のレベルの高さ等を考えると月額の費用は安くはないですが、決っして高くはないと思います。
とてもいい先生達だっだので不満はありません。小学校6年の1年間が1番大変でしたが中学に入ってからも先生からの指導アドバイスは子供にとってはとても良かったです。金額は安かったと思います。子供からしたら中学から付属に入り大学まで行けたので塾の先生にはとても感謝しているみたいです。大学になっても塾の手伝い等していたので先生方には感謝しています。
金額は特待生扱いだったのであまりお金はかかった思いはありません。中学になって復習扱いの塾でしたので金額に関してはあまり不満がありません。
アルバイトではない講師の塾ということで落ち着いた雰囲気だったと思います。予備校も兼ねておりなおさらかと思います。近くで便利ということで決めてしまいましたが、割と自由に季節の講習を受講できるのはいいと思いました。(講習を受講するだけ別料金となるのでなかなかの授業料にはなりますが)ただ、もう少しがっちりと授業時間があったほうが伸びるという方にはもっと厳しいところがいいかもしれません。
有名校なこともあって授業料は割と高いと感じましたが、夏期講習や冬期講習で自分のレベルに合った授業を選べるたのはよかったと思います。
最寄り駅から近く、防犯の面でも安心ですし、お弁当を持たせなくてもコンビニなどで買うことができ、それはかなり良かったのではないでしょうか。 講師の先生方がもとても熱心に対応していただき子供も嫌がらずに通っていました。 お友達のように仲良くなっていた先生もいたほどです。 ただ、代金がもう少し安ければ、もうちょっとコマ数を増やせたのかな...とも思いますので、多くコマ数をとった生徒、長く通っている生徒、兄弟で同時に通っている生徒、などの割引の率をもう少し多くしていただけたら、もっと他の方に勧められるような気がします。
一コマ単位で選んでいくので、高いような気もしましたが、本人が習いたい箇所や単元を学ぶことができるので、よかったと思います。
本当にいいかどうかは、現在進行形でこれから受験に臨むので、どのような結果がでるかによって大きく変わります。講習等の金額を含めた年間の総額の説明は入校時にはなかったので、その部分はお金を支払う保護者としては、大変不満はあります。しかしながら、現時点では、子供が不満を言うことなく通っているので、良いと思っています。しっかり結果がでれば、費用対効果で仕方ないかなと思います。
いろいろと細やかな指導があるので、致し方ない部分なのかもしれませんが、事あるごとにオプションの講習があり、その都度かかる受講料が高く、年間ね金額はかなりのものになります。
よくわからないです。
結果として志望校に合格したこと
塾名 | 四谷学院 |
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教室名 | 川越校 |
開校時間 | - |
講師の先生がとても熱意があり、同じクラスの受講生がかなり親しみを感じていたようで受験日近くなた小6の時点では授業以外にも講師の先生を囲み課外授業も連れて行くなど生徒たちの受験に対する気持ちの高揚に積極的に対応していたようでした。子供も講師のそのようなことに対し応えていたようで、三年間通い志望校に合格するすることが出来ました。
当時の経済状況は、はっきりとは覚えていませんが、当時としては一般的な金額であったように記憶しています。