「勉強以外の選択肢を知らなかった」M-1で注目の真空ジェシカ・ガクが中学受験を振り返る

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2年連続M-1決勝に進出するなど注目度急上昇中のお笑いコンビ・真空ジェシカコンビでツッコミ担当のガクさんは中学受験経験者で青山学院中等部、高等部、大学に通っていました。

ただ、中学受験は“親の意向”。現在の芸人も“残った選択肢”だと言い、「流されるがままの人生なんですよね」と語るガクさん。

しかし、「求められれば全力でやる」とNGなしで仕事に臨む覚悟はお笑い界でも一目置かれるほど。中学受験の経験も意外な場所で発揮されているそうです。

ガクさんに中学受験にまつわるエピソードなどを聞きました。

  1. 将来の夢は“動物好きのお笑いタレント”「社会の厳しさを知ってる子どもでした(笑)」 
  2. 流されるまま中学受験…今でも覚えている不合格時の親の反応
  3. 「中学受験は頑張る理由にも逃げる理由にもできる」

将来の夢は“動物好きのお笑いタレント”「社会の厳しさを知ってる子どもでした(笑)」 

真空ジェシカ

―どのような子ども時代でしたか?

ガク:小学生の時は明るかったのですが、運動がまったくできなくて…。放課後みんなが野球やっているときに、「川俣(本名の名字)の近くで球を投げてやろうぜ~」みたいにからかわれてました。

「運動はできないけど注目は浴びたい!」だから学校に自分くらいの大きな犬のぬいぐるみを持って行って、みんなが野球をやっている校庭の花壇に座ってその大きなぬいぐるみを抱きながら野球を見て不思議ちゃんアピールをしてました。

今思うとそれって相当浮いてるんですけど(笑)よかれと思ってやっていましたねー。

―習い事などはしていましたか?

ガク:水泳や空手など兄がやっている習い事は一緒にやっていました。もちろんそれも全然できなかったのですぐに辞めちゃったんですけど。

一番続いたのはピアノ。幼稚園から中3まで習っていました。続いたというよりは辞めたいと親に言い辛くて…兄がスポーツなら僕は音楽だと思って自分からやりたいと言って始めさせてもらったので。

―将来の夢や憧れていたものなどありましたか?

ガク:将来の夢とか全然考えていなかったですね~。でも、小学校の卒業アルバムに「将来の夢はお笑い芸人」って書きたかったけど書かなかったのを覚えています。

僕、小学生のときにちょっとませていたこともあり「俺はお笑い芸人で生きていくのは厳しいこと分かってるぞ」というアピールを入れたくて「動物好きのお笑いタレント」って書いたんです(笑)  社会の厳しさを知っているから芸人ではなくあえて“タレント”、しかも「“動物好き”っていう要素もありますよ」っていうね!

流されるまま中学受験…今でも覚えている不合格時の親の反応

真空ジェシカ

―子どもながらにいろいろ考えていたんですね(笑) では、ガクさんが中学受験をしたきっかけを教えてください。

ガク:簡単に言えば“両親の意向”ですね。兄が中学受験をしていたこともあったので、それに流されるがまま。中学受験をするとどうなるのか、しないとどうなるのか想像もついていないなかで受験をすることになりました。

通い始めた塾は学習指導会の地元・横浜の校舎。個性的な塾で先生のことをあだ名で呼んでいたんです。僕の先生は確か「スイカ」と「ダイカン」、あと「ローニン」っていうあだ名。今考えると「ローニン」があだ名って…(笑)

勉強合宿に行くと各校舎のあだ名がついている先生から名刺のようなものがもらえて、もらった枚数に応じてオリジナル文房具とかに引き換えられるんです。

そのなかでも友だちと競い合って集めていたのが、中学受験トレーディングカード。難関校の過去問を解けたらもらえるカードで、偏差値が高い学校のカードはポイントが高くてカッコイイんです。筑駒(筑波大学附属駒場中学校)だったら「ツクコマンダー」みたいなね。それが欲しくてめちゃくちゃ頑張っていましたね。

―でも流されるままのなかでどのように受験勉強に臨んでいたのでしょうか?

ガク:塾では慶應コースに入っていました。週に4日塾に通い、家でも毎日3時間は勉強。勉強する以外の選択肢を知らなかったのでとにかく「やるしかない」とただひたすら勉強していましたね。

こう言ったらあれですが、別に慶應に行きたいわけでもなかったので、勉強へのモチベーションがあったとしたら、「親を失望させたくない」「恥ずかしい思いをさせないようにしよう」それくらいでした。まさに親の反応を気にしていた子どもだったんです。

だから第一志望とされていた慶應に落ちたときも「親はガッカリするのかな?」と真っ先に心配していました。でも親はそのような反応を僕に一切見せずにいてくれたことを覚えているので、流されるまま中学受験と言いつつも意外に思うところがあったのかも知れません。

―青山学院での10年間はどのような学校生活でしたか?

ガク:僕には合っていたと思います。大学はもちろん高校でも外部生(高校から入学した生徒)が多かったので、10年間同じ学校といっても慣れた感じはありませんでした。

中学に入学するときは、「渋谷ではクールな人がモテる」と思ってクールキャラとしてデビューしたらただの無口な暗い奴だと思われて、底辺グループのいじられ役に。パソコンクラブのやつらに僕のコンピューターのパスワードを勝手に解析されたりしてました(笑)

その反省をいかして、高校では外部生(高校から入学した生徒)に交じって陽キャデビュー。お陰で人気グループのいじられ役に昇格しました。それが結構自信になって大学では軽音サークルに思い切って入ったんですよね。

でも仲がいい友だちができたのはサブで入ってたお笑いサークル。結局そっちが中心になり、今の相方(川北茂澄)に誘われてコンビを組み、そこから事務所にスカウトされて今に至ると。

実は一応就活もしていたんです。「将来やりたいことはないけど、僕には眼鏡がある」と思い眼鏡会社だけ受けましたが「熱意がない」と言われて不採用に。眼鏡というアイデンティティまで奪われ、残った唯一の選択肢が「芸人」というだけでした。

―中学受験もして、ご両親はいわゆる安定した道を期待されていた部分もあったのでは?

ガク:でも、両親は僕が芸人になるんじゃないかと薄々思っていたようで、「芸人になる」と伝えたときも母親は「そう思ってた」みたいに言ってくれたんですよね。

父親も始めは「本当に大丈夫なのか⁉ そんな生半可な気持ちで続けられるものじゃないぞ!」と言いつつ、僕が「でも芸人やらせてください」と強く言ったら「まぁ、俺の息子だもんな」ってめちゃくちゃカッコつけたこと言ってました…別にそんな生き方してきてないでしょうが(笑)

昔からですが両親は「親」としてすごくしっかりしてて、やりたいことはやらせてくれるし、ありがたいです。その一方で、僕のなかで「親は親」という認識が強くて人間的な部分に歩み寄るチャンスがなかったので今でも聞かれた事に「はい」か「いいえ」で答えるしか会話がない状態なんですけど(笑)

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「中学受験は頑張る理由にも逃げる理由にもできる」

真空ジェシカ

―振り返ると中学受験はガクさんにとってどのようなものだったと思いますか?

ガク:中学受験ってめちゃくちゃ頑張る必要がありますよね。その経験ってその後の人生において「あのときあんなに頑張っていたからやればできる」っていう理由にもできる反面、苦しいなと思ったときに「あのときあれだけ頑張ったんだから」と心を楽にできる、逃げる理由にもできる

合格したとかしなかったとかではなく、勉強を頑張った経験はその後の人生において自分をポジティブな方向に動かせる理由に繋がるような気がします。

それと、僕みたいに流されるがまま中学受験をしている子もいると思うんですよね。でも、無理矢理目標を作ることはないと思うんです。目標がある子はそれに向かって頑張ればよいし、僕みたいに特に目標がなかったとしても、なんとかなる。ネタが書ける相方を見つけて寄生し続けた結果M-1の決勝に行けていますし、それこそ就活で落ちた眼鏡会社のモデルもさせてもらいましたし。

―芸人としての目標はありますか?

ガク:芸人になった今も目標はなくて…基本的には「流されるがまま」です。ネタも相方の川北に言われるがまま。仕事もNGなし。だけど、求められれば全力でやる。 そうやって世の森羅万象を体験して最後死ぬときに「あぁ、一番向いていたのはこれだったなぁ」なんて思いながら去るのが理想です。

今思えばそういう「全力で取り組む覚悟」みたいなのがついたのも中学受験のお陰かも知れないですね。どこで活かされるかなんて人生わかりません。

取材協力:真空ジェシカ・ガク
Twitter:@gakegakegake
Instagram:@gakumeshi
YouTube:真空ジェシカのギガラジオ
TBS Podcast:「真空ジェシカのラジオ父ちゃん」

ひらおか ましお
この記事を執筆した執筆者
ひらおか ましお

テラコヤプラス by Ameba 執筆者

大学で入部したスポーツ新聞部をきっかけに、大学卒業後から本格的にライター業に従事。主にスポーツ雑誌を中心に活動していましたが、結婚と出産を機にwebや地元の情報誌などに活動拠点を移しました。子どもの成長と共に教育関連に興味をもち、2021年11月よりテラコヤプラスby Amebaで執筆を担当する二児の母。インタビューを通して得た情報を皆さまにシェアする気持ちで執筆しています。