モモコグミカンパニーを生んだ“第一志望不合格”「完璧な人生設計から外れて新しい風が吹いた」

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  1. テストの順位が私のステータスだった
  2. 完璧な人生設計から外れて吹いた“新しい風”
  3. 自身を変えた夏目漱石の「自我本位」の心
  4. BiSHで築かれたこの気持ちをこれからも大切にしたい

「第72回NHK紅白歌合戦」(NHK総合)での熱いパフォーマンスが記憶に新しい“楽器を持たないパンクバンド”BiSH 。2023年をもって解散することも発表し、12ヶ月連続リリースや全国を巡るライブツアーを敢行中です。

そのBiSHの結成時からのメンバーであり、メンバー内で最も多くの楽曲で作詞を手掛けるモモコグミカンパニーさんは、執筆活動も行っており、『目を合わせるということ』『きみが夢にでてきたよ』の2冊のエッセイ本を執筆しているほか、2022年3月には待望の書き下ろし長編小説『御伽の国のみくる』も上梓されます。

勉強家で「ちゃんとした人生設計を描くタイプだった」モモコグミカンパニーさんがどのようにして現在の道に辿り着いたのでしょうか。意識が変化した転機には“第一志望不合格”と、一冊の本との出合いがありました。

テストの順位が私のステータスだった

モモコグミカンパニー

―まずは、紅白歌合戦お疲れさまでした。皆さんの並々ならぬ気合が伝わってきましたが、本番はいかがでしたか?

モモコグミカンパニーさん(以下、モモコ):メンバー全員が緊張していましたね。いつものステージとはまったく違う独特の空気感があって、ちょっと飲み込まれそうになりながら、かろうじて立っていられたような感じでした。

出演が決まってからの周囲の期待に押しつぶされそうでしたが、皆さんが楽しみにしてくれていると思うと、とても有難かったです。

特に私の祖母は、必ず紅白歌合戦を見る人だったのですごく喜んでくれて、それが一番嬉しかったですね。

―3月には小説家デビューも控えていますね。昔から文章を書くことは好きだったのでしょうか?

モモコ:いえ、昔は自由に書く作文がすごく苦手でした。国語のテストでよくある“抜き出して書く”のような問題は好きでしたし、漢字も得意で書き順とかすごく強いんですよ!

簡潔に答えが出るものが大好きだったので、英語の単語や数学なども大得意だったんです。

その一方で、昔は自分に自信がなかったので、作文などで自分の考えを表現することが苦手だったのかもしれません。人生わからないですよね(笑)

―エッセイにも書かれていましたが“受験期には帰り道歩きながら勉強していたようなガリ勉だった”そうですね?

モモコ:そうなんです。運動神経が悪かったので、ひとつでも自分のとりえを作りたくて、勉強をすごく頑張っていました。

勉強は頑張って努力した分、成績が付いてくるので好きでしたね。特に中学生のときに憧れの高校を見つけ、そこに入りたくて一生に一度あるかないかの猛勉強をしました。

皆さんにはおすすめできないのですが、勉強している途中で寝てしまわないようにベッドのマットを外したり、ブラックコーヒーとかをたくさん飲んだり。壁に「ここの試験で絶対何点取る」とか、「何位以内に入る」とか目標を書いた紙もたくさん貼っていましたね。

塾に通い始めたのは中学2年生ごろ。自宅近くの塾に通っていました。塾ではテストの度に順位が貼りだされていたのですが、そこや全国テストの順位に自分の名前が載ることが、当時の私のステータスでした。

友だちと遊ぶことも好きでしたが、当時は「人生は進路先で決まる!」と思い込んでいたので、交友関係も制限して、勉強、勉強、勉強。ただ、それでも憧れのその高校には届きませんでした。

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完璧な人生設計から外れて吹いた“新しい風”

モモコグミカンパニー

―それほど強い思い入れを持っていた学校からの不合格に、立ち直るのは難しかったのでは?

モモコ:夢を持つって残酷だなってすごく思いましたね、「私の2年は何だったの!」って。進学した高校も、一生懸命に勉強をしていたから入れたのですが、入学当初は「本当はここにくるはずじゃなかったのに…」と、すごくとがっていて(笑)。でも、1年ほど経つと「ここで良かったんだ」って思えるようになりました。

その学校は、とにかく環境が良かったんです。校風が自由で先輩後輩だけでなく先生と生徒との壁もありませんでした

生徒の半分以上が帰国子女だったのですが、彼らと出会って、日本で自分の世界の中だけでずっと追い詰めた勉強の仕方をしていた私は、すごく世界が狭かったなと、気づかされました。

皆、自分に自信を持っていて周りからの目なんか気にせず“自分は自分”という考えでした。制服がなかったので着たい洋服を着て登校し、髪の毛をブルーに染めている子もいましたね。

ただ、くしゃみをする度に「bless you」と言われることには、根っからの日本人の私はぜんぜん慣れませんでしたけど(笑)

とにかく、そこへ行って皆に出会ったことが今の人生につながるぐらい、本当に良かったなって思っています。

―望んでいなかった場所にこそ、モモコグミカンパニーさんの新しい世界が広がっていたんですね。

モモコ:自分が志望した学校に受かることはもちろん素晴らしいけれど、それはそれでつまらなかったのかなとも今は思っています。

当時の自分が描いていた“完璧な人生設計”から外れたことで、新しい考えが入ってきました。自分の考えられる範囲内だけで着実に自分のその先の人生を組み立てていたら、私に新しい風が吹くことはなく、今のBiSHの私は絶対にいませんでした。

「新しい世界に足を踏み入れるって面白い!」と知れたのは、間違いなくあの高校生活のお陰です。

―今のモモコグミカンパニーさんのお話を聞くと、行くべくしてその高校に行ったのかなとさえ思いますね。

モモコ:そうですね。正直、今思えばそもそもなぜ第一志望にしていたあの学校にあそこまで執着していたのかもあまり思い出せないですね。

昔の私は、勉強以上の突出した才能が本当にないと思っていたので、とにかく学歴が欲しかったんです。本当に生きるのが下手みたいな感じだったので、勉強ならどの道に進んでも武器になるかなと思っていました。

それほど自分のことを追い込んでいたので、今年のセンター試験での事件を始め、受験をめぐるさまざまなニュースを聞くたびに、昔の私なら、一歩間違えたらそうなっていたかも知れないと思うこともあります。

でも、今の私は学歴に執着する必要はないと思っています。すごいのはその学校を目指すために頑張って勉強をしたあなたであって、学校がすごいわけではないと伝えたい。学歴ではなく、頑張った自分に誇りをもってもらいたいんです。

皆さんには頑張ったそのプロセスに自信をもって欲しいし、そこで頑張って頑張って行き着いた場所こそが、自分の一番の居場所、天職だと思って欲しいんです。その考えを持っていれば、自分の納得がいく人生、自分だけの人生が送れると思います。

自身を変えた夏目漱石の「自我本位」の心

モモコグミカンパニー

―それは、正にご自身の経験や生き方によって裏打ちされた言葉かと思いますが、その考えに至るまでに影響されたものなどあるのでしょうか?

モモコ:はい、私の大好きな夏目漱石の本の影響もあります。夏目漱石は私の中で一番偉い人、神みたいな存在だと思っていたけれど、夏目漱石も30歳ごろまでずっと自分の居場所がなくて悩んでいたっていうのを『私の個人主義』という本で読みました。

それを読んだら、すごく気が楽になったんです。人生は受験で区切りやゴールみたいなのを毎回決めさせられているように感じますが、それは決してゴールではなく、人生ってその先もすごく長いですよね。

あの夏目漱石でも、30歳ごろまで人生に葛藤を抱いていたことを知ってから、私自身も人生を長いスパンで考えようって思えるようになったのかもしれません。

―特に好きな一節などありますか?

モモコ:「今まで茫然(ぼうぜん)と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります」という箇所です。

この言葉は、自分でしっかり自分の内部に向き合って、自分の道は自分で切り拓かなければいけないという意味だと思うのですが、これを読んだときに、高校受験であの憧れの高校に行きたかったのも、それって本当に自我本位、自己本位だったのかなって思ったんです。

振り返れば、周りに「すごい」って言われたかったっていうのが大きかった思うし、「この学校に入ったら両親が喜んでくれるかな」という思いがありました。だから、第一志望の高校に落ちたときに私がすごく落ち込んだのは、不合格という結果より両親に残念な思いをさせてしまったからだったんですよね。

この夏目漱石の言葉に出合って、今まで私は人のために生きていた部分があったと気づくことができ、それから私の考え方が変わりました。

BiSHで築かれたこの気持ちをこれからも大切にしたい

モモコグミカンパニー

ー猛勉強した日々は今のBiSHの活動にはどのように活かされていますか?

モモコ:勉強は努力する力を身につけられる場だと実感しています。

私はダンスをしたことがなかったので、努力でダンスを覚える以外に方法はありませんでした。勉強に力を入れていたときのように、覚えて復習してまた披露して、そのライブ映像を見て、ここはダメだったってまた復習して、また持ち帰って…みたいな。これは、どのような仕事にも通じますよね。

今度出す小説も、実は執筆期間が約1年と大変だったのですが、“地道にコツコツ”というのは、中学生のころから慣れていたから、先が見えなくても続けられました。これも間違いなく勉強で養われたものです。

だから、もし勉強で本当に頑張ってそれで悔しい思いをしたとしても、将来に通ずる力は必ず養われていますし、悔しい思いをした分、強くなれる機会を得たと思っていいと思います。

長い目で見たらその悔しさってどこかの何か他の人生、社会人になってから必ず力になります。全部勝ってきた人って負けた人の気持ちがわからないから。私は悔しさを持っている人間の方が強いと思っています

―力強い言葉をありがとうございます。最後に、2023年をもってBiSHは解散されるそうですが、BiSH後はどのような道を歩みたいという目標などありますか。

モモコ:そうですね、BiSHも6、7年やってきた中で、いろいろな芸能活動をさせていただきました。歌やダンスだけでなく、モデルも…ちょっと演技してみたりも。

その中でいろいろ経験させてもらえたからこそ気付いたのが、「やっぱり書くことが好き」という気持ちでした。

実は、昔から宮藤官九郎さんに憧れていて、何か自分から発信して作りあげる人になりたいと思っていたんです。もちろん昔はこのような活動は選択肢にありませんでしたが(笑)。だからBiSHの最初のころは、歌詞を書けただけですごく有頂天になっていて、「やりたいことできた!ゴールだ!」みたいに思っていました。

その一方で、MV撮影とかその他のこと全部は苦手だということに気が付きました。でも、好きなことや苦手なことも含めてたくさんの経験をしたことで、私は「やっぱり書くことが好きだ」という気持ちに辿り着けたんです。BiSHでいろいろなことを経験させていただいたからこそ気付くことができた気持ちなので、この気持ちを大切にして向き合って、今後も書き続けていきたいなとは思いますね。

2022年はすべての方への感謝を込めて、ひとつひとつの活動を大切にして、力をつけていきたいです。

―本日お話しを聞いて、真摯な考え方にBiSHとしてのゴール以降のご活躍もとても楽しみになりました。本日はありがとうございました。

取材協力:モモコグミカンパニー
TwitterInstagramBiSHオフィシャルサイト

ひらおか ましお
この記事を執筆した執筆者
ひらおか ましお

テラコヤプラス by Ameba 執筆者

大学で入部したスポーツ新聞部をきっかけに、大学卒業後から本格的にライター業に従事。主にスポーツ雑誌を中心に活動していましたが、結婚と出産を機にwebや地元の情報誌などに活動拠点を移しました。子どもの成長と共に教育関連に興味をもち、2021年11月よりテラコヤプラスby Amebaで執筆を担当する二児の母。インタビューを通して得た情報を皆さまにシェアする気持ちで執筆しています。