「宿題を忘れた!」苦い経験。「遊ぶのは宿題をしてから」といったルール。今も昔も子どもを悩ませる宿題は、どのように定着してきたのでしょうか。
世界史ブログ「歴ログ」の中の人が、学校では教わらない「宿題の世界史」をご紹介します。
はじめに
こんにちは。「歴ログ -世界史専門ブログ-」を運営している尾登(おとう)と申します。世界史のさまざまなおもしろネタの収集をライフワークとしています。
世界各国の教育についても、いろいろな切り口で紹介してきました。
さて、子どもに「この世で一番嫌いなものは何?」と聞いたときに、真っ先に出てくる答えは「宿題」ではないでしょうか。
遊びたい盛りの子どもが朝から教室に拘束され、勉強を何時間もやらされ、ようやく夕方に自由になって友だちと思いっきり遊ぼうとする。それを「ちょっと待て」と阻もうとする存在。それが宿題です。
特に夏休みに出される宿題にはトラウマがある人も多いかもしれません。わたしの知人は、大人になった後も「宿題を何もしてないのに8月31日を迎えてしまった…」という悪夢を見るそうです。
宿題は子どもに日常的に勉強の習慣をつけさせ学力を高める目的で制度化されているのですが、そもそも子どものためになっているのでしょうか。
そもそも勉強の習慣がある子どもがいたとして、学校が出す宿題がどの程度、学力向上に寄与しているのか、疑問をお持ちの方もいると思います。
この記事では「誰が、いつ、何の目的で宿題を発明したのか」、その歴史をひも解いていきましょう。
みんな自発的におこなっていた?近代以前の「宿題」
現代でいうところの宿題、つまり自宅での学習習慣をつけさせる目的で生徒に自己学習を課すものが、教育プログラムのなかに組み込まれたのは、19世紀であるといわれています。
では19世紀以前は自宅学習の習慣はなかったのかというと、そんなことはありません。古代ギリシアの時代から、学習者が自宅で勉強をする行為は普通にありました。
紀元1世紀、弁論術の教師であったプリニウスは、生徒たちに弁論の練習を自宅でおこなうように命じました。生徒が、より自信を持って流暢(りゅうちょう)にスピーチできるようになるための鍛錬でした。
「これだけやればよい」という量が定まっていないですし、やったものを提出するわけではないので現在の宿題とは異なります。
どちらかというと、合唱や書道、体育の授業の練習に近いかもしれません。ただし、教師が生徒に学校以外での学習を課すという意味だと、現在の宿題に類するものです。
洋の東西を問わず、昔の学校に通う人にとって自宅で予習・復習することは当たり前のことでした。先生が課すものではなく、何も言われなくても自発的におこなっていたのです。
そのため宿題には特別な意味や目的が与えられていませんでした。ヨーロッパの僧侶も、イスラム学者ウラマー(学者や宗教指導者層のこと)も、中国の科挙試験(官僚登用試験)の受験者も、宿題に定義が与えられるずっと前から、自宅で曲を覚え、知識を記憶し、詩歌をそらんじていたわけです。
ドイツで広がった授業の内容を頭にたたき込むための宿題
宿題は近代教育学の確立によって、その役割が定義されることになりました。
近代教育学は、生徒の認知メカニズムを解明した「4段階教授法」に大きな影響を受けています。これを確立したのが教育学の父と称されるドイツの教育学者、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトです。
▲ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト(1776~1841)
彼は教育の方法を「管理・教授・訓練」という3つに分け、「教授」をさらに分割し、「明瞭・連合・系統・方法」の4段階を設定しました。生徒が新しい知識を学び、取り入れ、知識を応用する一連の過程を分解して定義したものです。
経験値の低い教師が生徒の学びの過程を把握することで、ベテランの教師が自然におこなっている臨機応変な生徒指導を「科学的」におこなえるようにしようという意図がありました。
ヘルバルトの死後、トゥイスコン・ツィラーやヴィルヘルム・ラインらによって「ヘルバルト学派」が成立していくのですが、弟子たちは、この理論を「教師がいかに行動すれば生徒は効率的に学ぶことができるか」という方法論に発展させました。
この理論のなかで、宿題は授業で学んだ内容を機械的に頭にたたき込む役割を持たされることになりました。
19世紀半ば以降、宿題はドイツの教育現場に広がりました。国民学校に通う生徒は教師から毎日宿題が与えられ、自宅で完成させる必要がありました。
この教育プログラムを当時のドイツ政府は、積極的に推進しました。それには理由があります。
19世紀のドイツは、神聖ローマ帝国以来の伝統である「地方小国家の連合体」の域を抜け出せずにいました。強い統一ドイツ国家が求められた19世紀、「ドイツ人が修得すべき知識や技能」を強制的にたたき込むのに宿題は大変効率のよいプログラムだったわけです。
日本の明治新政府もドイツのヘルバルト学派に学び、学校の教育プログラムに宿題を導入したのですが、その意図もドイツと同じく、国家が国民に備えてほしいと望む知識や技能をたたき込むことにあったのです。
アメリカに導入された宿題システムは猛反発を受けた
ドイツ式の宿題はアメリカにも広がりました。
19世紀半ば、教育改革者のホーレス・マンは、ドイツの教育現場を視察して感銘を受け、アメリカの教育システムにドイツ式を取り入れることを主張しました。
▲ホーレス・マン(1796~1859)
アメリカでは伝統的に、教育は私立の学校や教会の存在が大きく、また家庭での両親からの道徳教育が重要視されていました。
マンはこのような伝統的なアメリカの教育環境を問題視し、金持ちの子しか優良な教育を受けられず、教育のプロでない両親による道徳教育にも限界があると考えました。
あらゆる階層の子どもに共通の学習体験をさせることで、下層階級に自らの境遇を変える機会を与えるとともに、教師による適切な道徳教育によって集団行動や時間管理などの価値観を身に付けさせることができるとマンは考えました。
マンの主張はマサチューセッツ州のコモン・スクール(初等学校)制度に革命をもたらし、それがほかの州の方向性にも影響を与え、北部を中心にパブリック・スクール(公立学校)が建設されました。
そのなかで、宿題は家庭でも学習の習慣を根付かせ成績を上げる手法であると考えられ普及が図られました。
ところがマンの革新的なパブリック・スクールは多くの反発を招くことになります。
生徒を奪われた私立学校の経営者、教会、そして道徳教育の主役を奪われた両親の反発です。彼らは、「国家の手先である教師」に教育を任せるべきでない、人間が本当に必要な道徳心が失われると主張しました。
そのなかで宿題も、子どもの健康に悪影響を及ぼすという理由で反発を受けました。
1901年にカリフォルニア州では15歳未満の子どもの宿題が禁止され、1930年には児童保健協会は、宿題は児童労働の一種だと発表しました。
このような過激な反発の背景には、子どもが宿題を口実にして家事手伝いを避けることがあり、それを親が嫌ったことがありました。家事手伝いも立派な道徳教育と考えられていたのです。
20世紀前半のアメリカの教育学は、教育学者のジョン・デューイが唱えた「子ども中心の経験主義教育」が席巻し、座学中心の詰め込み型教育が批判され、子どもが主体的に経験を通じてものごとを学び知識を身に付けていく教育手法が盛んに唱えられました。
そんななかで、宿題は悪しき詰め込み教育のシンボルと見なされるようにもなっていきました。
ソ連の「スプートニク成功」がアメリカの宿題に影響を与えた
第二次世界大戦後、アメリカとソ連の二大陣営が対立する冷戦構造が生じます。
1957年、ソ連が世界初の人工衛星である「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。この成功は「スプートニク・ショック」として、西側諸国、特にアメリカに大きな衝撃を与えました。
アメリカの教育当局は、物理学と工学という競争の激しい分野でソ連よりも常に一歩先を行こうとしました。教育水準が国家の威信に関わる一大事になったわけです。
すると、詰め込み教育が最も効率がよいと考えられ、すべての年齢層の生徒に厳しい宿題が課せられるようになりました。
このような国の方針に対し、数多くの教育者が反対しました。
1963年、カリフォルニア州初等教育局のヘレン・ヘファーナン局長は、「計算を何ページも繰り返すような意味のない宿題をすすめることはできない。このような課題は、時間を無駄にするだけでなく、子どもの知的活動への創造的な衝動を殺してしまう」と訴えました。
すべての改革者が宿題に反対したわけではなく、子どもの興味関心をかき立てる宿題もありえるはずだ、という議論もありました。
たとえばイリノイ州ウィネトカ校の校長を務めていたカールトン・ウォッシュバーンは、「料理や裁縫、食事の計画、予算、家の修理、室内装飾、家族関係」などを宿題として提案しました。
ところがこのような取り組みは当時多数派にはならず、1983年にアメリカ政府が国の教育レベルが低下していると述べた報告書「危機に瀕した国家(A Nation at Risk)」が発表されてからは、ドリル式の宿題を重視するなどの学力重視の教育が優先されました。
「宿題はよいのか悪いのか」議論があるフランス
フランスでは一部の学校が1912年から宿題を導入していたものの、国の教育として宿題を制度化したのは1950年代以降のことです。
教科数の増加もあって授業時間数は増加の一途をたどり、足りない学習は宿題で補うように指導されました。
フランスでは長い間、宿題に対する議論があります。
肯定派は、授業への参加を促し、暗記を向上させ、家庭と学校との間につながりができ、親が学校に参加する効果があると主張します。
反対派は、過度な宿題依存は生徒の学習スキルに不平等を生じさせ、過度のストレスを子どもに与え、家族間の対立を誘発するリスクがあると主張しています。
宿題の時間が少なくても学力が高いフィンランド
一方で、北欧の国フィンランドのケースは非常に興味深いものがあります。
フィンランドは1週間の宿題に費やす時間が、経済協力開発機構(OECD)加盟国のなかで最も少なく、高校3年生以外は試験というものが一切ありません。
それにもかかわらず、テストの成績は比較的良好です。これだけを見ると、宿題に費やす時間と学力には相関がないように思えます。
フィンランドの教職は医師や弁護士と同等の社会的地位の高さがあります。人々に尊敬されるため就業希望者も多く、優秀な人材が集まります。
彼らは高いモチベーションで職務に当たり、賢い子どももそうでない子どもも、皆同じ教室で平等に教えて、取り残される子がいないように注意深くケアがなされます。
教師による適切な指導があれば、宿題がなくても学力は上がる一例です。
宿題の時間が増えると点数が上がるデータもある
成績アップのためには必ずしも宿題が必要でないのは、フィンランドのケースを見ると事実なのですが、宿題をしっかりこなす子どもの成績がよいのもまた事実です。
2014年12月のOECDの調査「PISA in Focus」によると、マカオ、日本、シンガポールなどの学生は、宿題の時間が1時間増えるごとに17点ずつテストの得点が増加するというデータがあります。
教育熱心な、特に裕福な家庭の子どもは宿題に取り組む時間が長く、それがテストの点数に結びついています。
ちゃんと宿題に取り組めば学力向上が期待できる一方で、教育の現場にインターネットが導入されたことで、宿題が形骸化する懸念もあります。
以前は学習教材は本とノートだけだったので、答えが見つけられず、自分の頭で考えて取り組む必要がありましたが、今は検索すればすぐに答えにたどり着けます。
インターネット上には「宿題代行業者」も横行しています。
また、インターネットには学習アプリや学習動画がたくさんありますし、塾も学校の学びの補完以上の学習レベルを提供しています。
学校以外の学習方法が多様化している現在、宿題が学習効果にどれだけ寄与しているのか、疑問に感じる点も大いにあります。
「そもそも宿題は何のためにあるのか」を考え直そう
宿題は帰宅後の家庭での学習の習慣をつけさせ、教師が生徒に覚えさせたい知識を暗記させるのには役に立ちます。
しかし、興味にあふれた子どもの感性を、机にかじりつかせたまま浪費させることは正しいことなのか?もっと創造性を伸ばす教育ができないのか?という疑問・懸念はもっともです。
こうして「宿題の世界史」を振り返ってみると、「そもそも宿題は何のためにあるのか?」と考えざるを得ません。
宿題が「子どもの能力の可能性を広げること」なのであれば、学習プロセスを明らかにしたヘルバルトの時代に立ち戻って、もう一度、子どもの興味や学習欲を伸ばすためにはどうすればいいか、考えたほうがいいのではないでしょうか。
インターネットの登場によってこれまでの宿題の形式が形骸化している側面がありつつも、AIなどのデジタル技術を駆使すれば、子どもの興味や学習欲を高める新たな宿題のあり方が見えてくるように思います。
編集:はてな編集部