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アン ミカ「子どもを信頼して」と受験期の保護者へエール!自身も高校受験で“家族”背負った過去

アン ミカ「子どもを信頼して」と受験期の保護者へエール!自身も高校受験で“家族”背負った過去の画像

前向きな言葉とオープンマインドなその人柄で、お茶の間をいつも笑顔に変えてくれるタレントのアン ミカさん

その明るさは、子どものときに受けたご両親と周囲の大人たちの優しさによって築かれたものだと話してくれました。

どのような言葉や経験が今のアン ミカさんがもつ魅力の礎となったのでしょうか。

また、自身が高校受験で大きなプレッシャーを背負った経験を基に、保護者のかたにぜひ読んでいただきたい、心温まるメッセージもいただきました。

「母は、怒らずすべてを優しさで包み込むような人でした」

―アン ミカさんがポジティブな姿勢をもつきっかけを話されるとき、いつもお母さまのお話しをされていますね。どのような影響を受けられたのでしょうか?

アン ミカさん(以下、アン ミカ):化粧品会社に勤めていた母は、そこで学んだ“女性が自信をつけるための考え方やマナー”を私たちにも教えてくれました。

例えば、「本当の美人は目鼻立ちが綺麗なだけではなくて、一緒にいて心地良いなと感じる人。だから、ミカちゃんと一緒にいるとなんか心が和む、話を聞いてくれる、また会いたくなる、明るくなる、そういう心地よさを感じさせる女性になるのよ」と。

母の優しさを語るにもっとも印象的なエピソードがあって…私は小学生のある時、韓国人ということで突然嫌な思いをしたことがありました。

当時8歳だった私には、国籍で阻害されることの意味が分からず、お家でポロポロ涙を流していたんです。

そんな我が子を見たら、「うちの娘がこんな目に遭わされた」と怒るのが大抵の親の気持ちだと思うのですが、母は穏やかに「韓国にもいっぱい美しい景色があって美味しいご飯があるのをまだ知らないのよ、じゃあ教えてあげましょうね」と、何日間にもわたって同級生のためにご飯会を開いてくれました。

当時、家はラーメン屋さんを営んでいて、そこでの定番メニューに加えて美味しい韓国料理をたくさん振る舞いながら、韓国の自然の美しさなど、国の魅力やお互いのことを話し合い、理解をする時間を、母は作ってくれました。

それからイジメは収まるようになりましたね。このエピソードからも分かるように、どのようなことも優しさで包みこむような母でした

父も本当に思いやりに溢れており、一度も私たちに声を荒げて怒るようなことはありませんでした。

我が家は経済的には恵まれてはいませんでしたし、両親ともに早く亡くなりましたが、兄弟姉妹も仲が良く、愛情にとても恵まれていたからこそ、自己肯定感が育まれたのだと思います

―本当に優しいご両親だったんですね。そのころのアン ミカさんはどのような子どもだったのでしょうか?

アン ミカ:私は5人兄弟の真ん中です。兄姉、私に妹弟と、本当に仲の良い兄弟でしたが、年が近いだけあって、比べられることももちろん多かったですね。

私は、3月末生まれということもあり、小さい頃は兄弟のなかで背が低く、少しコロコロしていたので、周りからは冗談で「ミカちゃんだけ似ていない」などと言われるたびに、傷ついたりしました。

その上に、階段から転落する事故にあって口の上を切ってしまい、笑うと唇がめくれ上がるという後遺症が残ったんです。そこから、「笑うと怖がられるから、笑っちゃいけないんだ」と思い込み、容姿のコンプレックスから、いつも下を向いているような子どもになってしまいました。

しかし母に、「ミカちゃんが微笑んでいたらその顔を見た相手も笑顔になって、その相手の顔をミカちゃんが見たらまた笑顔になって、笑顔が巡っていくよ。笑顔で過ごしたかったらこっちから笑顔の種を蒔くんだよ。だから口角はきゅっと上げてね」という言葉をもらってからというもの、自信がなくて、下を向いていても、口角だけは上げようと心掛けるようになりました。

母の病に2度の火事…それでも前を向くことができたワケ

アン ミカさん

―お母さまのことが大好きだったんですね

アン ミカ:そうですね。母に認められたいという気持ちが大きくて、頑張る理由はすべて母に繋がっていました。勉強でも「お母さんが喜ぶから勉強で一番になりたい」と思っていましたね。

昔から勉強は好きでしたが、そんなに裕福ではなかったので、次女である私は、兄と姉が通っていたそろばん教室には行かせてもらえませんでした。

ある日父に「なんでたった2000円の教室にも通わせてくれないの」と言ったんです。そしたら父に「たった2000円ではないよ。その価値が分かったら習わせてあげる」と言われて、兄がすでに始めていた新聞配達に、くっ付いて行くことになったんです。

雨の日も雪の日も、熱が出ている日も続けていたら父が認めてくれて、念願のそろばん教室に通えることになりました。

もう、嬉しくて夢中になって学んだので、飛び級、飛び級で初段まで行ったんです!それが自分の誇りになって、そこから勉強が益々好きになりました

さらに中学では、当時好きだった男の子がいて、その子が本当に勉強のよくできる子どもで。

彼に勉強のコツを聞くと、「塾には行ってないよ。朝、予習をして学校へ行けば、学校が復習での勉強が復習になるから、たくさん質問もできるでしょ?」と言われ、雷に打たれたような衝撃を受けましたね。

それからは、新聞配達から戻ってきたら、まずはその日の予習をしてから学校へ行くようになりました。

中学へ上がるころには、母はもう入院していたので、新聞配達から帰ってきたら、兄弟姉妹で力を合わせて家事をしていました。

力を合わせれば早く家事が済むので時間が余る。時間が余るから勉強ができる。中学では陸上部に入っていたのですが、朝練にも遅れず行くことができる。家族も喜んでくれるし、「一石三鳥以上になっている!」と思っていました。

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―今のポジティブな心持ちはたくさんの経験から生まれているんですね。

アン ミカ:はい。でも、辛いこともありましたね。母の癌が分かった同時期ごろに父が働いていたお店が火事にあったんです。それも住み込みで働いていた場所も併せて2件、たった1年の間にですよ。本当に泣きっ面に蜂状態が続いたんですよね。

火事で燃えて家がなくなってしまったので、家族バラバラで親戚の家や教会に預けられました。

今でも覚えているのですが、私はそのとき神父さまに 「こんな良い人たちがなんで不幸になるんだ!私は何も信じない!」 みたいな酷いことを言ってしまいました。

でも、その時に神父さまは優しく、「自分に起こる出来事を信頼しなさい」と物事の捉え方を私たちに教えてくれたんです。

例えば「何で私ばかりこんなことが起きるの?」と、被害者意識を持つのではなく、「これをどのように捉えて進んでいくか」と、知恵を磨くことが大切で、そのためには「起こる出来事をまずは信頼することが大切だよ」と。

もちろん、まだ小学生の子どもですから、その言葉をそのときすぐには理解できませんでした。本当に辛いことが、そこから重なって起きたんですから。

しかし、神父さまの言葉を信じて、起こる出来事を信頼してその度に工夫をしていくと、火事のあとも一生懸命に新聞配達をして、自分の給食費を払って、妹弟の面倒も見て勉強して部活もしていたら、成績も上がり、部活では大阪府の代表にもなることができました。

気が付いたときには、私は前に進んでいたんですよね。

こんな風に、さまざまな経験を重ねていくことで、当時の大人たちが私にかけてくれた言葉の“本当の意味”を理解できるようになったと思います。

大切なのは“距離感”愛があれば必ず子どもに伝わる

アン ミカさん

―周囲の大人が子どもにかける言葉の影響って本当に大きいですね

アン ミカ:子どもは大人の言っていることを、きちんと聞いていると思います。分かっていないふりをしていても分かっています。その時分からなくても、記憶のどこかにホールドしていて、あるとき必ず腑に落ちるときがくると思うのです。私がそうでした。

例えば、お母さんやお父さんは、子どものことを叱ってばかりの自分に落ち込んだりすることもあると思いますけれども、愛があって𠮟ってくれている場合、子どもには伝わっていると思うのです

だから「子どもに怒鳴っちゃった…」と落ち込んでしまうことがあっても、子どもはその真心を分かっているから心配しないで欲しいと思います

私の両親ももちろん良いことばかりは言わなかったんですよ。ただ、怒られても嫌ではありませんでした。

両親が時には涙を流しながら話してくれたり、怒ってくれたりするのを見て、こんなに真剣に私たちのことを考えてくれているんだって思っていました

子どもは、愛情があって𠮟ってくれる人や接してくれる人を見極めていますよね。

―現在、受験シーズンがピークを迎えていますが、アン ミカさんのご経験から、保護者はどのように子どもをサポートしたら良いと思いますか?

アン ミカ:私の場合は、経済的事情から絶対に公立高校にしか行くことができず、高校受験で絶対に失敗できない状況だったので、当時は、すごいプレッシャーを背負っていました。

そのため志望校ランクを落として受験をしたのですが、それでも「もし、そこに落ちたら家族に苦しみを与えるかもしれない」というプレッシャーに加え、母が余命いくばくもない時だったのでどうにか母が生きている間に嬉しい報告をしたいと、それを父にも約束していたんです。

その経験を踏まえてお話しすると、受験のときや子どもにプレッシャーがかかるような場面では、より一層、“心の距離感”を大事にしてあげることが大切だと思います。子どもが何を欲していて、何を心地よいとしているかを見てあげることですね。

「この学校に行ってほしい」「ここに行くとあなたの一生が変わるのよ」ではなく、どもと一定の温度でコミュニケーションを取り続けることが、難しいけれどとても重要なのではないでしょうか

―それはすごく大切なことで、子どもにそうしてあげたいと思っている保護者も多いと思いますが、つい「頑張って」と背中を押す言葉になりがちになってしまいます。

アン ミカ:そうですよね。その子に合っているのであれば、もちろんそれでも良いと思います。

一番大切なことは無理強いしないことだと思います。もし、受験などがうまくいかなくても違う魅力がある子なのだと包んであげてください。  

結果ももちろん大切ですが、最も大切なのは過程だと思います。頑張る子は受け取るし、頑張らない子は受け取らないものがある、もし本当に頑張っていなくてダメだったら、それもその子どもの学び。

そこから大人が「じゃあ、頑張れるものを探そうか、あなたが楽しく頑張れるものは何だろう」と、サポートすることが大切だと思います。

子どもなりにさまざまな思いを必ず背負っていますから。お子さんの見守り方は人それぞれでも、その子どもにあった距離感で信頼をしてあげることが大事だと思います。

ーアン ミカさんのお話しを聞いて、大人は昔の自分を思い出しながら子どもをサポートしてあげることが大切だと感じました。本日は貴重なお話しをありがとうございました。


取材協力:アン ミカ

福岡 萌子
この記事を執筆した執筆者
福岡 萌子

Ameba塾探し 執筆者

幼少期はダンス、フィギュアスケート、ピアノ、英会話などを習う。英語に特化したカリキュラムが豊富な私立高校の国際情報コースに通い、イギリスでの短期留学を経験。その後、恵泉女学園大学人間社会学部にてインドネシア文化とフランス文化を学ぶ。その後、幼児~シニアを対象としたダンス講師として従事。2021年4月に株式会社サイバーエージェントグループ会社である株式会社CyberOwlへ中途入社。保護者やお子さまの目線に寄り添い、知りたい情報を確実にお届けできるよう目指しています。