プロの世界はどこも厳しいものですが、将棋の棋士には並大抵の努力ではなれません。
今回は、将棋棋士として将棋界に身を置きながらも、公認会計士試験に合格した「船江恒平六段」をご紹介します。
船江恒平六段は、小さいころから将棋に熱中し、23歳のときにプロ入りを果たしました。さらに、30歳を超えてからは棋士と並行して資格の勉強に励み、合格率10%といわれる「公認会計士」の試験に合格。
そんな船江恒平六段に、どのような努力をして棋士になったのか、棋士の仕事と資格の勉強をいかにして両立させたのか、「船江流勉強術」を伺いました。
将棋ファンのみならず、限られた時間で集中するコツを知りたい方は、ぜひご一読ください。
将棋に熱中した幼少期“興味を持ったきっかけは祖父”
ー本日はよろしくお願いします。まずは、将棋に熱中したきっかけや、経緯を教えてください。
船江恒平六段(以下、船江):はい。まず、僕が将棋を始めたのは祖父の影響です。
祖父の家は、僕の自宅から車で10分ほどの距離にあったので、親がよく遊びに連れて行ってくれていたんですね。祖父の家に泊まることもよくあり、僕は祖父が大好きでした。
実は、祖父は将棋のアマチュア四段で、アマチュアのなかではとても強いほう。とにかく孫に将棋を教えたくて仕方がなかったようで、僕が生まれたときはとても喜んでくれたと聞きました。
祖父には、僕より年上の女の子の孫もいましたが、祖父の時代は、将棋は男の子というイメージが強かったみたいです。
しかし、僕は将棋を始めた当時、「将棋が好き」というよりは、「祖父が好き」という思いのほうが大きかったんですね。そこから将棋にのめり込んでいったのは、幼稚園児から小学1年生のころだったと思います。
当時、祖父は家で時計店を経営していて、そこに近所のおじいちゃんたちが集まり、頻繁に将棋を指している環境でした。
将棋なら子どもでも大人と対等にゲームができるので、大人に普通に勝てることが楽しかった記憶があります。
ー当時、将棋以外の習い事はしていましたか?
船江:僕の親は、「いろいろなことを試してみたほうがいい」というタイプだったので、さまざまな習い事をしていました。
将棋以外では、水泳と書道、サッカーで、小学1年生から5年生くらいまで続けていましたね。
大人になった今、たまに色紙に字を書くことがあるので、書道を習っていたのが活きていると感じます。水泳とサッカーにおいても、体力がついたのでよかったです。
ほかにも、英語や絵画も習っていたのですが、なかなか興味が続かない自分の姿を見た家族の意見もあり、短期間でやめてしまったと記憶しています。
将棋に関しては、近所の将棋センターへ毎日のように通っていました。将棋センターが休みの水曜日以外は、学校が終わってから親に連れて行ってもらっていましたね。
16時から1時間だけ水泳を習って、それが終わったら車のなかで、おにぎりを食べながら将棋センターに向かっていたのをよく覚えています。
本当に、親に感謝しないといけませんね。
1年間は1日10時間以上の勉強!23歳でプロ入りへ
ー23歳でプロ入りを果たすまで、1日にどのくらい将棋の勉強をしていましたか?
船江:まず、棋士になるには「新進棋士奨励会」という養成機関に入る必要があります。
僕は小学5年生、つまり11歳のときに新進棋士奨励会へ入りました。プロ入りしたのは23歳のときなので、新進棋士奨励会には12年間在籍していたことになります。
しかし、その在籍していたなかで将棋の勉強していたときもあれば、していなかったときもあって。正直なところ、遊びに夢中になってしまっていた時期もあったんですよね。
それでも、プロ入りする直前の最後の1年間は、将棋以外のことはほとんどせず、1日10時間ほど将棋をしていました。
ー1日10時間以上、将棋と向きあうようになったきっかけは何だったのですか?
船江:きっかけはふたつあります。ひとつは、5歳年下の弟弟子(おとうとでし)の存在です。
弟弟子と初めて会ったのは、僕が高校生のころで、そのとき彼は小学5~6年生くらいでした。
当時、弟弟子とはかなりの実力差があったため、「弟弟子に追いつかれ真剣勝負をするようになったら、自分はおしまいだな」と考えていました。
しかし最終的に、僕が22歳のとき、彼が先にプロ入りしてしまった。これにはさすがに焦りましたね。
今、弟弟子はA級棋士なのですが、彼はものすごい努力家。「やはりこれぐらい努力しないとダメなんだ」と刺激をもらったのを覚えています。
もうひとつのきっかけは、ずっと一緒に将棋をしてきた友だちふたりが、新進棋士奨励会をやめてしまったことです。それも、ちょうど22歳のときの出来事ですね。
新進棋士奨励会は、何歳からでも入会できるのですが、26歳までに四段に昇段できなかった場合は退会しなくてはいけません。
ふたりと僕は同時期に新進棋士奨励会に入会しましたが、彼らは僕より4つ年上です。
四段まであと一歩だった三段でふたりが新進棋士奨励会をやめてしまって、プロになれない人がいることを現実として実感しました。
このふたつがきっかけで、自分のなかでスイッチが入ったと思います。
ー将棋の勉強のため、習慣にしていたことはありますか?
船江:当時を思い返すと、一番習慣になっていたのは、大阪にある関西将棋会館での練習将棋ですね。
関西将棋会館は将棋のプロを目指す人たちが勉強できる場所で、昼間はほとんど会館にいました。
それから、毎日関西将棋会館までの電車移動が往復2時間以上あったので、その時間を利用して「詰将棋パラダイス」という詰将棋専門誌の問題を解いていました。詰将棋パラダイスは、塾でいえば、問題集のようなものです。
相当マニアックな問題がたくさん載っていて、棋士の藤井聡太さんも詰将棋好きなので、藤井さんの問題もよく載っていますよ。
詰将棋パラダイスは月刊誌なのですが、中学生のころから毎月買っていて、今も常に持っています。この本にはとても感謝していますね。
ー将棋の勉強がつらいときはありましたか?
船江:真剣に取り組めば取り組むほど、楽しい気持ちが強かったので、つらいと思うことはありませんでした。
僕にとって将棋は仕事であり、勉強でもあり、趣味でもあります。そこが続けられていた理由かもしれませんね。
ただ、祖父の存在が心の支えになっていたと思います。
棋士になって一番よかったと思うのは、祖父と師匠が喜んでくれたこと。
祖父にも師匠にも、すごく長い間応援してもらっていたので、その恩返しに結果を残したいという気持ちはずっとありました。
もう祖父は他界してしまったのですが、「プロになれないかも」と思ったときは、祖父に対して申し訳ない気持ちになりましたね。大事な存在こそが、心の支えだったかなと思います。
ーちなみに子どものころの学校の成績はいかがでしたか?
船江:まじめに勉強するほうではありませんでしたが、暗記が得意だったので、成績はよかったと思います。
実力テストは少し苦手でしたが、覚えて何とかなる中間テストや期末テストは得意でしたね。
公認会計士試験に合格!勉強で大事なのはゴールを決めること
ー船江さんは公認会計士試験に合格されましたが、受験を考えた理由を教えてください。
船江:小学生のころから将棋しかやってこなかったので「ひとつくらい違うこともやってみたい」という気持ちが、プロ入りしてからずっとあったためです。
30歳を超えたとき、「そろそろ何かしないと一生やらないだろう」と思い、資格の勉強を思いつきました。
公認会計士を選んだ理由は、「挑戦するからにはそれなりに難しいことに挑戦したい」と考えたからですね。
しかし、さすがに司法試験はちょっと難しすぎるし、今からロースクールに通うわけにもいきません。その点、公認会計士は特別な受験資格がないため、努力すれば合格までの時間もかからないと思いました。
それから、個人で会計士をしている方もいらっしゃるので、いずれは棋士との両立もしやすいと思ったんです。
非常に領域の広い職業なので、資格を役立てるときがくるのをすごく楽しみに感じています。
ーどのようにして資格の勉強と対局を両立させましたか?
船江:平日は公認会計士の資格を取るための専門学校に通い、19歳前後の方たちと机を並べて、同じように勉強していましたね。
週に1、2回は将棋のために学校を休みましたが、対局のない日は朝から晩まで資格の勉強です。
僕には家族がいるので、わずかな時間ではありましたが、土曜日・日曜日は子どもと過ごしていました。
試験がすべて終わったあと、子どもが妻に「これからはずっと(お父さんと)遊ぶぞ!」と言っていたのがすごく印象に残っています。妻のサポートには本当に感謝しています。
ただ、特に資格の勉強を始めたころは「集中してやったほうがいい」と思って必死に勉強ばかりしていたので、両立できたといっていいのかはわかりません。当初は、両立というほど将棋に力を入れられていなかった気がします。
ー資格の勉強をしていて、つらいときはありませんでしたか?
船江:僕は日本将棋連盟の関西本部所属なのですが、東京で対局することもあるんですね。
そういったなかで、東京に遠征して、夜まで対局して負けて、朝始発で帰って9時から学校に行ったときは、本当につらかったです。
けれども資格の勉強に専念するため、対局以外の仕事を一時的にお断りしている状況だったので、「人の助けを借りてやっている分、やるしかない!」という気持ちが強かったですね。
ー勉強に対する集中力を高めるためにやっていることはありますか?
船江:僕は、長く集中力が続かないほうなので、時間を決めてやっています。
まずは、とりあえず1時間やると決めて、1時間だけ必死に勉強して、10分や20分の休憩を繰り返す。だらだらやるのはよくないと思うので、無理して1時間以上は続けませんが、やる気が続けばそのまま勉強し続けることもあります。
専門学校に通ってよかったことは、1時間という勉強のペースをつかめたことです。
社会人が勉強する場合、自宅でできる教材を選ぶ方が多いと思うのですが、僕は勉強の癖をつけたかったので専門学校に通うことにしたんですね。
勉強はゴールを決めることが一番大事。詰将棋なら、時間ではなく「この問題を解くまではやる」などと決めるんです。
僕は勉強でも将棋でも、細かいゴールを決めて、集中して取り組むタイプだと思います。
ー対局はとても1時間では終わらないと思いますが、どのように集中されているのでしょうか?
船江:そうですね。長いときで、1日の持ち時間が6時間の対局もありますが、僕の場合、1時間集中できれば十分ですね。
対局の中継を見てもらうとわかりますが、相手が次の手を考えている間、少し席を外して休憩する工夫をしています。
やはり対局でも、集中力は1時間くらいしか続かないと思っているので、集中力を保つには切り替えが大事だと感じますね。
「やればできる」と信じて成功体験をつくってほしい
ー今後の展望や目標について教えてください。
船江:公認会計士の国家試験には合格しましたが、これから実務経験を積まないと公認会計士にはなれません。
そのため、今後は将棋と両立しつつ、できることを探して取り組んでいきたいと考えています。
それから、棋士と公認会計士の組みあわせは珍しいので、そのふたつを活かして相乗効果が得られることをできたらいいなと思っています。
ー最後に、夢に向かって頑張っている学生たちに向けて、メッセージをお願いします。
船江:僕は「やればできる」をモットーに、自分を信じてどんなことにも挑戦しています。だから、学生のみなさんにも「やったらできるんだ」と思ってさまざまなことに取り組んでほしいです。
受験勉強は大変です。難関大学を目指している方、受験に受かった方は、すごく勉強されてきたことでしょう。
今回、僕が資格試験に合格できた大きな要因は、“頑張って棋士になった”という成功体験があったから。だからこそ、みなさんにも、受験でもなんでもいいので、成功体験をつくっていってほしいですね。
1回でも成功体験ができれば、それ以降も「やればできる」と強く思えるようになります。なんでも、やればできますよ!
ー本日は貴重なお話をありがとうございました!
■取材協力:船江恒平六段