元・日テレアナウンサーで、現在はフリーのアナウンサーとして活躍中の青木源太さん。
ジャニーズ愛が強いことでも有名ですが、小さな頃から好きなことにはとことん追求するタイプなんだとか。
勉強も好きで学校での成績も良かった青木さんが、大学受験を意識し始めたのは、進学校での高校2年の12月。
どんな勉強法で、難関といわれる慶應義塾大学に合格したのか?青木さんの勉強法を聞いてみました!
受験を控える学生の方や、エンタメ業界志望の方は、ぜひご一読ください。
小さい頃から好きなことを追及するタイプだった
―青木さんと言えばジャニーズ愛が強いというイメージですが、小さい頃はどんなお子さんでした?
青木源太さん(以下、青木):幼稚園のときに神奈川県の藤沢に住んでいたのですが、一番最初好きになったのが「江ノ電」でした。
江ノ電のいろんな車種や駅の名前をマニアックに覚えてましたね。その後、上野動物園にはまって動物が好きになったりしました。
昔から、結構いろんなことにハマりやすくて、詳しく知りたいっていう気持ちがすごく強い子どもだったと思います。
―ジャニーズ好きも幼稚園の頃からですか?
青木:ジャニーズにハマり始めたのは、幼稚園の時に光GENJIを見たことが私のジャニーズの最初の接点なんですが、ものすごく好きになり始めたのは小学校5年生ぐらいからですね。
ジャニーズに限らず、好きなものに対して調べて、詳しく知りたい、勉強したい、っていう気持ちが強かったですね。
だから、好きなことはとことん追求するタイプの子どもでした。
勉強はわりとそんなに自分の中で苦も無くというとちょっと変ですけど、わりと好きだったかもしれないですね。
勉強しかできなかったっていうとちょっと語弊がありますが、得意なことが勉強だった子どもでした。
―勉強がお好きだと、学校の成績も良かったのでは?
青木:良かったと思います、それなりに。中学受験をしようと思っていたので、小学校4年生まで塾に行ってました。
同級生の半分以上が中学受験するエリアに住んでいたので、小学4年生からは塾に行く、っていうのが当たり前だと思っていました。
それが小学校5年生の時に、千葉県から愛知県に引っ越したんです。
愛知県のなかでも僕の住んでいた地域が私立中学に行くっていう文化がそれほどなくて、それで塾に行かなくなりました。
―得意な科目、苦手な科目はありましたか?
青木:小学校、中学校の時は理数系が得意でした。それが大学受験の時は文系で受験しているので、文系科目が得意になっていました。
高1ぐらいまでは数学が好きですごく得意だったはずなのですが、高2ぐらいからちょっと周りと差ができ始めて、あれ?っていう感覚があり、数学が苦手になって、得意科目が理数系から文系に逆転したんですよね。
―大学受験では数学を選択をされましたか?
青木:受験で数学は選択しなかったのですが、数学はしっかりやってました。
自分の通っていた愛知県の公立中学は当時めちゃくちゃ荒れていまして、すごくヤンキー校だったんです。
ところが高校は非常に真面目な進学校だったので、文系も数Ⅲ、数Cまで勉強するカリキュラムが組まれていました。
だから数Ⅲ、数Cと勉強していましたが、難しかったですね。
しかも僕の通っていた高校は、基本、塾に通う人がいなくて、浪人になってから予備校に通うっていうのが普通でした。
―受験を意識して勉強されたのはいつ頃からでしょうか?
青木:僕は高2の12月から始めましたね。それまでは一切してないです。
―部活をされていたとか?
青木:やってないです、遊んでました。遊ぶって言っても、釣りとかボーリングとかの話です。田舎ですので、やることが少ないですから(笑)。
―そうなんですね。慶應義塾大学受験のために3教科に絞って勉強されていましたか?
青木:最初はセンター試験を受ける気だったので、全科目勉強していましたね。ただ、途中でセンター試験を受けるのをやめたので、3教科に絞りました。
書いて覚えて苦手科目を克服!オリジナルノートで受験対策
―受験生時代に勉強のやり方などで工夫されたことを教えてください。
青木:僕は暗記を「書いて覚える」っていうタイプだったので、特に暗記科目は自分のオリジナルノートを作って書いて覚えてましたね。
たとえば「世界史」でいうと、山川の用語集って、用語の横に、掲載されている教科書の数字が出てくるんですよ。
その数字に応じて赤色と青色って決めて書いて、自分でオリジナルに文章化をして覚えていました。
世界史のオリジナルノートもびっしり書き込んでいました。
僕しか読めないのですが、テストの問題を見ても、ノートのここに書いてあったっていうのがすぐ分かるんですよね。
今、ちょっと問題になっているパレスチナ問題については、こう書いています。
「この戦いでは秘密外交がたくさん結ばれた。イギリスとアラブの間にフサイン・マクマホン協定では対トルコの戦争協力を条件に独立を約束したが、同時に結ばれていたバルタン宣言との矛盾もあってアラブ人は激怒。ビックリマーク。パレスチナ問題の発生につながった。」
―確かに心情を結構入れると覚えやすいですよね。
青木:「スターリンの独裁は大粛清のもとに成り立っていて、ひどい。」ってところに悲しい顔をしたイラストも書いてあります。
こういう風に自分なりに工夫して覚えていましたね。
―大学受験時に苦手な科目はありましたか?
青木:やらなかったっていうのも含めて、「化学」と「物理」ですね。授業は何となく受けていたのですが、ちょっと身が入らなくて…。言い訳ですが。
ただ、教科ごとに、それぞれの楽しみ方が別にあると思うんです。たとえば数学は数学の楽しみ方があると思うんですけど、化学や物理はそれを感じるまでに行かなかったって感じですね。
たぶん化学式もそんなに真面目に覚えてなかったんじゃないかな。化学の神髄じゃないけど、面白い肝の部分に触れるところまで到達しなかったって感じですかね。
そこに到達したら、理系の科目もきっと楽しくなったりするんですよね。
―逆にそこに到達したなって思う科目はありましたか?
青木:「世界史」はまさにそうですね。高校時代の世界史の勉強が楽しかったから、史学科に行きたいと思うようになりましたし、大学も学部の史学科を専攻しました。
―ちなみに、慶応義塾大学を選んだきっかけは?
青木:東京に行きたかったっていうのが1つ大きくありまして。それから受験の時、早稲田と慶応が自分の学力にちょうどいいとの判定もあり、慶応義塾大学を受けました。
だから滑り止めも受けてないんですよ。落ちたら浪人しようと思って。
―それはすごいですね。大学に進学されてから、アナウンサーを目指そうと思われたんですか?
青木:もともと僕はテレビっ子だったんです。テレビが大好きで、それこそ勉強のモチベーションはテレビで、何時間勉強したらテレビ見ていいよとか、ここまでこのテキスト終わらせたらテレビ見ていいよ、と親と約束して勉強をしていたくらい、とにかくテレビが大好きでした。
一人暮らしを始めて一番嬉しかったのは、好きな時に好きなだけテレビが見られるっていうことでしたから。
それくらいテレビが好きなんですよね。だから自然とテレビ局で働きたいな、あの画面の向こう側に行ってお仕事がしたいなっていう風に学生時代に思っていました。
決してアナウンサーという職種に限定していたわけではなくて、アナウンサー試験でもこれは言ってたんですが、もしもアナウンサー試験で落ちたら制作職で受けます、と。
とにかくテレビの向こう側で仕事がしたいと思っていました。
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新聞を読んで「名文を浴びた」ことが就職試験で生かされた
―アナウンサー試験や就職活動って結構苦労する学生多いと思うんですが、工夫してやってた面接の対策などありますか?
青木:僕、日テレの筆記テストがすごく良かったと、入社した後に言われたんです。筆記テストでは時事問題などが出ていました。
当時の僕は学生だから新聞を取る余裕がなかったので、新聞全紙が置いてある大学の図書館に行って、授業と授業の合間に1時間半読んでいたんですよ。
たとえば3限と5限の間、4限が空き時間だった時は、ずっと図書館にいて、新聞全紙に目を通していました。
それが筆記テストにすごく役に立ったなと思います。当時していたバイトの関係で読まなきゃいけなかったっていうのももちろんありますが、新聞がすごく好きでした。
うちの妻も同じ大学なんですが、「いつも図書館で新聞読んでたよね」って言われます(笑)。
―
新聞を読むのが苦手な学生も多いと思いますが、青木さんは新聞がお好きなんですね。
青木:世代の違いもあると思います。新聞に対する親しみのギャップってしょうがないと思います。
僕はノートに切り貼りしたりもするんで、新聞のほうが楽なんですよね。
― 就職活動のために新聞を読もう、と思うのでは遅いでしょうか?
青木:遅いですね。新聞を読むことが習慣化してないといけないですし、これは受験の小論文対策にもいえることですが、文章能力っていうのは一朝一夕につくものではないんですね。
それまでどれだけ名文に触れてきたかっていうのがとても大きいと思います。
だから、エントリーシートでいい文章を書きたいとか、大学受験の時に小論文で点数を取りたいと思ったら、逆算して中学ぐらいからちゃんと夏目漱石とか太宰治とか三島由紀夫の作品をちゃんと読むべきだと思います。
僕は中1の時に、「推薦図書50」っていうのを生徒手帳に書いてたんです。その50冊を中学校3年間で全部読もうと心に決めて。
生徒手帳に書いた作品を上から読んでいって、線を引いて消していくっていうのをやっていました。
大学受験も小論文を選択したのですが、すごく役に立ったなと思います。言葉に対する感度もその時に培われたんじゃないかなって今は思います。
―心の引き出しを増やすのは、付け焼刃じゃできないですよね。
青木:そうですね。新聞のコラムや社説も、実は身近にある名文で、すごく文章能力のある新聞社の人たちが毎日書かれています。
そういう身近にある名文に少しでも触れることが大切ですね。
僕は「名文を浴びる」って言うんですが、名文を浴びているかどうかで、小論文や就職の面接の結果、エントリーシートの文章能力も全然変わってくると思います。
調べて知れば、未知の世界も好きになる
―アナウンサーになってからも、さまざまなご経験をされていると思いますが、一番苦労した、乗り越えるのに大変だった経験はありますか?
青木:入社2年目の時に「MotoGP」っていうバイクレースの実況を担当することになったんです。
サラリーマンだから当然ですが、業務命令として自分がまったく知らない競技を実況することになるっていうのは、ままあることなんですけど、そこで競技について1から勉強を始めました。
たとえば競技の歴史だったり、ルールであったり、バイクのエンジンの仕組みだったり、タイヤの仕組みであったり、選手の人となりとかを勉強するのがすごく大変でした。
でも、勉強してその競技やライダー、関わる人のことが好きになると、能動的に取り組めるようになって、その仕事がどんどん楽しくなっていった経験があります。
僕のアナウンサーとしての仕事の仕方、アプローチっていうのは、そこに原点があります。
逆にいうと、仕事をいただいた時にはまず調べて、自分だったらこうしようとか、自分なりに考えるっていうやり方しかできないんですよね。
番組に出ていると、なんの準備もなくいきなりそこに座って、本番がかかったら面白いこと言う芸人さんたちを間近で見てきたので、これは自分にはできないと強く思っています。
だから、どんな仕事に取り組む際も、イベントの司会するにあたっても、今回Ameba塾探しさんの取材を受けるにしても、事前に調べないとできないんですよね。
今、フリーになっても、所属する事務所の人には、僕はそういうやり方で仕事を進めますって言ってます。
スケジュールも考慮してもらって、勉強する時間ももらったりしてるので、ありがたいなと思います。
―最初から好きじゃないと、勉強しようとか知ろうっていうモチベーションが上がらない方も多いと思いますが、どうやってその第一関門をクリアされていますか?
青木:それは逆ですね、知って好きになる。こうやっていろんな人にインタビューするじゃないですか、それも楽しみにして座った方が絶対いいと思うんです。
めんどくさいなと思うよりも、やっぱり気持ちが一番大事だから、「今日はどんな話が聞けるんだろう?」って思うだけでも絶対楽しいし、そういう風に仕事に取り組むようにしてます。
たとえばエンジンの仕組みって分からなくないですか?ガソリンを入れたら動くっていうのは分かっても、ガソリンがどうなってるかなんて分からないですよね。
あのエンジンという機械も、4ストロークエンジンとか2ストロークエンジンとか、200㏄とか400㏄って、何なんですかって思いますよね。
僕も最初は全然分からなくて、㏄って何なの?、何が入る㏄なの?っていうレベルでした。
エンジンの仕組みから勉強して、なるほどね、あれは排気量で爆発する空間の容量の話なんだっていうのが分かると、すごく楽しくなりました。
さらに知ってる人に質問していくと、どんどん好きになります。
エンジンはピストン運動の上下運動なのですが、なぜ上下運動で最終的にタイヤが回るの?とか。
そういうことを調べ始めると、なるほどね、車軸があってここのギアがこう噛むからこう横回転の動きになるんだとか、考えてるとすげえなみたいな。
物事って仕組みが分かった方が面白いんです。これはもう何でもそうです。野球だってルールを分かって見るから面白いのであって。なんでもそうです。仕組みを分かって取り組めば、より楽しくなります。
―仕事の合間にいろいろなテーマを調べられたり忙しい毎日だと思いますが、どのように工夫をして勉強されてますか?
青木:僕は本を読んだ時などに、
本の感想や映画の感想を結構忘れちゃうんです。
だから、本や映画の感想をノートに書き留めたり、知らない言葉や知らない情報に出会った時にノートに書き留めています。
世界史のノートを作ってるのとまったく同じです。僕は「雑学」と「名文・引用」に分けてノートを作って書いています。こんな手書きなんですよ。
―今でもノートなんですね!
青木:そうなんです。変な話、このノートだけで1、2時間くらい読めますからね。ああ、そうそうこれこれ、この時調べたなとか。
今では当たり前の「ダイバーシティ」についても、2012年ぐらいだと思うんですが、一番最初に出てきた時に、えーそんな言葉があるんだと思って書いていました。
ドン小西さんに、世界3大コレクションって何か知ってる?って言われた時に、パリコレ、ニューヨークコレクション、もう1個が分からなくて。ミラノなんですけど、そういうのもメモってます。
―学生の頃、講義やセミナーを受けることが日常的にあったかと思いますが、社会人になってからもそういった勉強会に参加されていますか?
青木:ええ、行ってました。2011年くらいに、無料で誰でも受けられる「論語研究会」というのを慶応大がおこなっていて、1週間に1度行っていました。
経済新聞や経済紙を読むの好きなんですが、企業経営者の方って「論語」から引用したりするんですよね。
それがかっこいいな、論語学びたいなと思ったのがきっかけです。
―仕事のためにしっかり調べる時間を捻出されたり、勉強に余念がありませんが、青木さんにとって学ぶこと、勉強することとは何でしょうか?
青木:一生続けることですよね。学びって、テストでいい点を取るためにする勉強とはちょっと違うと思うんです。
学ぶことで新たな世界の扉が開いて、人生が豊かになると思っています。
人生が続いていく以上、学びを続けることで自分の人生を豊かにしていきたい、クオリティオブライフをあげていきたいですね。
たとえば、どこかに立って景色を見ている時に、その場所の歴史を知っていれば、まだ違った景色に見えることって、たくさんあると思うんです。
それを知ってるか知らないか、学んでるか学んでないかっていうのは、何かしらの差が出ると思うので、これからも自分の人生を豊かにするために学びを続けていきたいと思います。
―本日は貴重なお話をありがとうございました!
実際のインタビュー風景はAmeba塾探しの公式YouTubeをチェック!
青木源太さんのインタビュー動画は、こちらからご覧いただけます。
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青木源太(あおき げんた)
フリーアナウンサー。1983年5月7日生まれ。愛知県岡崎市出身。
2006年に日本テレビ放送網に入社し、「Oha!4 NEWS LIVE」「スッキリ!!」「PON!」「バゲット」「火曜サプライズ」のMCを任され、司会者としての実力を伸ばした。その他、箱根駅伝中継、プロ野球中継などのスポーツ実況も多数経験。2020年日本テレビ放送網を退社後、“日本一のイベント司会アナウンサー”を目指し幅広いフィールドで活躍中。
Instagram:@aoki.genta
Twitter:@Aoki_Genta
YouTubeチャンネル:『源チューブ / 青木源太 』
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