「キングオブコント2019」ファイナリストとなり、お笑い第七世代の中でも注目のお笑いコンビのかが屋・賀屋壮也さん。お笑いのみならずドラマの脚本も手掛けるなど、多彩な才能を発揮されています。
今回は、教員免許を持つ賀屋さんに幼少期の習い事や大学受験についてお話しを伺いました。
「小学生から古文を」教師一家で育ち、さまざまな言葉に触れた幼少時代
かが屋・賀屋壮也さん(以下、賀屋):両親がふたりとも国語の教師でした。
親が離婚してから、母方の祖父母の家で住んでたんですが、祖父も小学校の校長先生やってたり、教員が多い一家でした。なので母親も教育熱心だったと思います。
一番覚えているのは、母親が古文の先生だったので、小学生低学年から「古文」を覚えさせられてました。母が作った古文のファイルでずっと勉強してました。
そのなかでも、平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は記憶に残っていますね。
―古文は好きでしたか?
賀屋:結果的に好きではなかったですが、幼少期から学んでてよかったと思いますね。
幼少期から学んだおかげで、高校のときに古文の授業がスッと入ってきた感じはあります。小さいときは意味が分からなかったんですけど、こういう言葉があるくらいは母の教育で分かりました。
化学式とか理系のものを見たときに、「あっ、僕の分野じゃない」と思うんですけど、古文や国語系のものを見たときは「あっ、僕のもの」みたいなイメージがついてますね。自分のなかで、自然とタイプ分けみたいなものは身についていて、そういう点ではよかったと思います。
―ほかにも習い事をしていましたか?
賀屋:小学校の時は、英会話と少年合唱団に入ってました。
英会話は、小1くらいからはじめましたね。近所に友達のお母さんが家で開いてる教室があったので、友達と何人かで行ってました。
合唱団は、小3からで珍しく男の子だけの合唱団だったんです。混声の女の子も入っているのはあるんですけど、男の子だけっていうのは珍しくて。
合唱団で初めて人前に出る経験をしました。ステージの幕が下りてて、緞帳(どんちょう)があって緞帳の裏側を知っているという。裏側には基本的に大きく「火の用心」と書いてあるんですよ。芸人始めるにしても、「火の用心」て書いてある、それを知っているのと知らないのとでは、初舞台のスタートの切り方が違いました。芸人になってからも、ステージから見た客席が懐かしく感じられて、合唱団を習ってよかったなって思いました。
受験前日に東日本大地震を経験、なんとか勝ち取った大学合格
賀屋:中学受験もあって、塾に本格的に行きはじめたのは小4くらいです。
―学校の成績はどうでしたか?
賀屋:勉強は基本的に舐めてましたね(笑)。
小学校のときは勉強しなくても100点が取れてたんですよ。
勉強しなくても「全然いけるわ」と思っていたら、中学の時に数学の先生が言ってることがわからなくなって。それまでプライド高く保ってきた少年が、挫折を食らうというか。そこで勉強が嫌いになりかけたんですけど、「ちゃんと勉強しないとダメなんだな」と思ってやる気が入りました。
―大学に東京学芸大学を選んだ理由はなんですか?教師を目指していたんですか?
賀屋:もともと教師を目指していたのではなく、とにかく東京に出たいというあんまり大きな声では言えない理由です。
自分の学力で行ける大学を考えたときに出てきたのが、横浜国立大学と東京学芸大学だったんです。そこで前期は横浜国立大学、後期に東京学芸大学を受験することに決めました。
受験勉強も高校3年生になって本腰をいれはじめたので、本当に遅かったんです。センター試験でまあまあな点数が取れたので願書を出したんですけど、横浜国立大学は落ちてしまったんですよね。
そして後期の東京学芸大学の試験日が2011年3月12日だったんです。兄が東京に住んでたので、前日から泊まらせてもらって、次の日に試験の予定でした。
3月11日の昼12時広島発の新幹線乗って東京に向かっている途中、静岡あたりで電車が急停車して。どうやら地震が起きたらしいということで、車内アナウンスされたのが「東日本大震災」でした。
新幹線も徐行運転を続けながらやっとの思いで東京駅に着いたんですが、そこはもうパニック状態でしたね。電車も停まっていたので、兄の家には行けずに、その日は東京駅に泊まることに。
兄の家には布団がひとつしかなく、母から寝袋を持たされていたので、東京駅で寝袋で寝ていたんですが。周りから「なんであいつは寝袋を持ってんだ、準備よすぎるだろう」となんだか不思議な存在になってましたね。
そうして大学の試験は来れる人だけになり、東京駅まで来れていたので当日に受験することができました。それでいい点数も取れて、なんとか合格したって感じです。面接では寝袋で東京駅に泊まった話をしたり、すごく思い出深いんです。震災も経験して、いつ何が起こるかわからないと感じましたね。
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教育実習での経験がコントにも!芸人になる前に教員免許を取得
大学生になり構成作家・放送作家を目指していた賀屋さんが芸人になったきっかけは、相方の加賀翔さんとの出会いでした。芸人になっても教員免許を持っていて良かったことを聞きました。
賀屋:大学で中学社会・高校公民を選んだ理由は特になかったんですが、社会には日本史、世界史のほかにも民俗学、地学、社会学がありました。
僕が一番興味を持ったのは社会学のなかの「メディア社会」で、主にSNSを含めたメディアのことを調べてました。
高校生のころから、ドラマとかバラエティも好きだったので、テレビや映画などのメディア関係の職には興味があって。社会学にはメディアがあることを知って、僕はここだなと思いました。
あと初めてダウンタウンさんの「ダウンタウンのごっつええ感じ」を観たときはすごい面白いなと思いましたね。
―芸人になるきっかけはなんでしたか?
賀屋:自分が芸人になるとは全く思っていなかったです。
大学生になってから構成作家、放送作家を目指してましたが、弟子募集している放送作家さんに脚本を送ってもまあダメで。
大学3年生でそろそろ就職先を決めないといけないと思っているときに、アルバイト先のコンビニで芸人をしていた相方と出会ったのがきっかけですね。
最初は放送作家を目指すなら、芸人さんと仲良くして損はないだろうという思いからでしたけど。そこで相方のピン芸のネタを作ったり、いろいろと一緒にやっていくうちに2人でお笑いコンビとしてデビューすることになりました。
―お母さんは教師になってくれると思っていたのでは?
賀屋:どうだったんですかね。母親はあんまり期待してなかったと思うんですけど、たぶん父親は教師になってほしかったと思いますね。
母親に芸人になることを伝えたら「そうか。せっかく学芸大学に入らせてもらえたんやから、教員免許は取らせてもらいなさい」と言われました。そこから教員免許を取るために勉強したので、最終的には大学を5年通ったんですけど。
―芸人として教員免許(中学社会・高校公民)を持っていて役に立ったことはありますか?
賀屋:一番良かったのは、教育実習に行けたことですかね。先生側の視点って経験したくてもできないので、いい経験になりました。教育実習がきっかけで出来たコントがあるくらいです。
あと授業づくりも楽しかったですね。
日本史の授業をさせてもらったんですけど、日本史はストーリーがあるので組み立てて伝えていくというのが今のネタ作りにも活かされています。
先生って「あいつあの子のこと好きだな」とか本当に恥ずかしいくらいわかるんですよね。こっちが顔赤くなっちゃうくらいにすごく分かるんです。でも生徒の中では、先生が知らないことも起きていて、めちゃくちゃ深かいなと思いました。
―教育実習からできたコントはありますか?
賀屋:教育実習に行ったのがちょうど体育祭の時期で、クラスの中に先生の言うこと聞かないやんちゃな男の子がいたんです。その子が体育祭の準備で、パイプ椅子を運んでいたんですが「意外と真面目にやってる」と思って。帰りのホームルームで「ちゃんと頑張ってたな、先生びっくりしたわ」って褒めたら、次の日からその子が運ぶパイプ椅子の量が倍になりましたね。
子どもは「素直で可愛いな」と思って、それがきっかけで出来たコントはありますね。合唱するコントなんですけど(笑)。
かが屋『合唱』コント
(YouTube channel「みんなのかが屋」より引用)
https://www.youtube.com/watch?v=tFD9ugVCbGQ
勉強も捉え方で変わる「名前が付いていないだけで、普通に遊ぶのも大事な勉強」
賀屋:教育実習は母校の中高一貫校に行きました。
特別に中学も高校も両方みさせてもらったんですけど、高校生はもう大人だと感じましたね。高校生は大人と同等として扱っていかないといけないと思いました。
教師は正解のようで間違ってる可能性もあるので、一番難しい職業なんではないかと思います。最新の情報も取り入れていかないといけないし、今は昔と違って教えないといけないことが増えたと思います。
また生徒の学ぶこと以外の姿勢を観察したり、褒めたりすることも大事な仕事のひとつですよね。授業も重要だけど、やっぱり「見てるよ」っていうのを伝えるのも大事だと思います。だから難しくて、先生は本当に凄いんですよね。
―社会科のおすすめの勉強方法はありますか?社会が苦手な子へ克服するコツがあれば教えてください。
賀屋:苦手科目の勉強は、自分の中でハードル下げることが大事ですね。
僕は個人的に大河ドラマが好きだったので。社会科もドラマや漫画からだと入りやすいかなと思います。『ONE PIECE』のキャラクターって覚えようとしなくても自然と覚えるじゃないですか。
日本史はよく暗記科目って言われますけど、昔話を聞く授業だと思ったらいいんですよね。教科書に肖像画が載っているような遠い存在の人でも同じ人間ですからね。
日本史だったら「日本の昔話を聞く時間」、世界史だったら「世界の昔話を聞く時間」、算数は「数字で遊ぶ時間」みたいな。小学校の時はそんな感じでいいんじゃないと思います。 国語って聞くと難しく感じますが、「本を読んで感想を書く時間」でいいと思います。
遊びには名前が付いていないだけで、勉強していると思うんです。例えば、川で石を投げて遊んでいるとします。そしたら誰にも教えてもらわなくても「どんな石が一番良く水が切れるか」自分で探しますよね。だんだんやっていくうちに「こういう平べったい石がいいんだな」というのが分かるようになります。その遊びに名前を付けるとなると「川石の授業」となる(笑)。
勉強って難しく捉えるから「勉強」という概念が生まれるだけで、「普通に遊ぶのも大事な勉強」です。
さらに「勉強があるからこそ遊びが楽しい」と思うことも大事なので。先生がある程度厳しくするのは、他のことを楽しむために大事なことだと思います。
この授業が嫌いって思った生徒が、他のことをみつけるっていうのもあると思うんですよね。ほかに逃げ込んだところで「才能が開花する」というのもあると思います。教育実習では色んなことを学び、教員免許を持っている人間としてそんなことを思いました。
―勉強をがんばっている中学生・高校生に向けた応援メッセージをください。
賀屋:勉強はすごく大事なので、芸人の僕から言えることは「絶対に勉強するなよ」っていうことですかね(笑)。「押すな押すな」のやつですね。
中途半端は後悔するきっかけになるので、遊ぶんだったら思いっきり遊んでほしいですね。好きなものを見つけると言っても、見つけてる人の方が少ないし、僕もずっと分からなかったです。
だからとりあえず勉強やってみるっていうのは、すごい大事ですね。勉強は大人たちが用意してくれたものだから「やりたいことが見つからないなら勉強しとけば?」という感じで気楽に考えたらいいと思います。
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賀屋 壮也(かや そうや) お笑いコンビ芸人「かが屋」ボケ・ツッコミ担当。 大学在学中にアルバイト先で出会った加賀翔と2015年にコンビ結成。中高一貫校の呉青山中学校・高等学校、東京学芸大学を卒業。 芸人になる前に教員免許(中学社会・高校公民)を取得。
Twitter:@kagayahirai
Instagram:@kagaya_kaya
Youtubeチャンネル:『みんなのかが屋』
https://bit.ly/3mdmBJ3
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